私たちに目的を与える
どんな組織にも、その組織の目的、ゴール、そこに到達するために必要な価値観、態度、手段があるはずです。リーダーシップの専門家であるジョン・マクスウェルは次のように言いました。
年を取ることは自動的だが、上達することはそうではない。
たとえば、ゴルフが上達するためには計画や鍛錬が必要なのは言うまでもありません。どんな競技でもチームとしてトーナメントで勝つためには、何らかの目的やゴール設定が必要です。ところで、『1分間マネージャー』の著者のケン・ブランチャードはこう言いました。
ネズミ競争の問題は、たとえ勝ったとしてもあなたがネズミであることに変わりないと言うことだ。
彼の言いたいことはこうです。人間とは、より優れた目的を持たなければ、どのようなゴールに達しても満足しない生き物ななのです。
『聖書』は私たちにより優れた目的を与えます。それは人間が悪魔に打ち勝つことです。『聖書』によれば、人間は、神が執筆した大きなストーリーのなかの主人公なのです。神のその大きな物語の中で、人間は悪に打ち勝ち、正義をこの地上にもたらすようにデザインされています。ヤコブの手紙4:7とヨハネ第一の手紙5:4-5にはこう書いてあります。
悪魔の存在は科学では証明できません。事実、人間の理性で目に見えない世界をすべて理解するのは不可能です。にもかかわらず、私たちは物語(ナラティブ)という手段で、理性には捉え難い、目に見えない世界を描きだそうとします。だからこそ、『バットマン』や『スパイダーマン』、『スターウォーズ』、『ナルニア国物語』のような映画に私たちは興奮するのではないでしょうか。
私たちはそれらの物語(ナラティブ)を通して、ヒーローやヒロインに自分を重ね合わせ、追体験を通して、大きな目的の中を歩むので感動を覚えるのです。同じように、私たちは『聖書』の与える目的の中を歩み、正しいゴール設定をすることで、はじめて充足感を得るのです。4-5世紀の神学者アウグスティヌスの『告白』1:1:1の言葉は有名です。
というのも、あなたはわたしたちをあなたのために造られたので、わたしたちの心はあなたのうちに憩うまでは安らぐことがないからです。
31歳のアウグスティヌスは『聖書』の中に生きる目的を発見しました。